かげろう日記

まだ夏がいい。

 

夏は真っ盛り。

今年は梅雨が長かったことと、あまり出かけられていないこともあって、夏はこれから!という間違った期待もしています。

ですが今日は立秋。暦の上では秋が始まりました。今日からの暑さは「残暑」となります。

この季節はなんだか悲しいです。戦争の事やお盆があったりするのもありますが、

やっぱりたくさんの生きものの盛衰が垣間見えるからだと思っています。

 

当然、夏のにぎやかさを知っているので、待ち遠しかった季節であって、

夏休み期間という事もあって、こちらから生きものたちのもとへ出向いて遊んでいた季節です。

初夏にカエルが鳴き始め、飛び交う蝶が増えて今まで見なかった甲虫も姿を現すようになると、次はセミの大演奏が始まります。

猛暑の中でくらくらしそうなほどにセミの声に打たれると、いよいよあいつらの出番がきたなと嬉しくなります。やっぱり夏の虫の憧れは、いつのときもりっぱなツノやアゴをもったあいつらなのです。

山の雑木林ではどんな攻防が繰り広げられているんだろうと想像してニヤニヤ。たまににやけるのは暑さにやられたわけではありませんよ。

小学生の頃に自転車で通ったクヌギはまだあるんだろうか。

これはミンミンゼミ

樹液に集まるカブトムシやクワガタ。オオムラサキやスズメバチや名前も知らない甲虫やガを見つけては言葉にできない感動がありました。そのうちに捕ることに集中してしまうのですが、たくさんの生きものが、それはもう一生懸命に無心に生きていることに心が躍ったような気がします。

理解することは到底できない彼らのつながりをもった世界の一端が見えたというか、同じ空間にちょっと入り込んだという喜びがあるのかもしれないです。

 

さて、今年の夏はどうでしょうか。

お店の周りは工事の音の方が大きくていまいち蝉時雨に浸ることはできません。

アブラゼミやミンミンゼミの声、聞いていますか。

我慢できなくなってお店が閉まった後にちょろっと木を探しに行きました。

通った木のうち何本かはソーラーへと姿を変えていましたが、一応やつらとともに姿を確認できました。

いたいた。せめぎあいとまではいかず。

そうだ。あまり気にしたことはないかもしれませんが、セミの声って移り変わっていくこと知っていますか?

なんのセミか分からないけど、夏が始まって鳴き始めたなぁと思うのはニイニイゼミ。

少し夏が本格的になって今頃頑張っている、「そうそう、聞き覚えあるなこれこれ」はアブラゼミ。羽が茶色い奴。

同じころにミーンミーンと鳴くのがミンミンゼミ。

この頃から、夕方に悲しげに鳴くのがヒグラシ。

意外と晩夏からが出番なのがツクツクボウシ。

アブラゼミの勢いがなくなって、ヒグラシが聞こえてくる頃のさみしいことさみしいこと。

そしてツクツクが必死に力を振り絞り始めると、どうしても夏の終わりを感じてしまいます。悲しい。

 

秋に現れる生きものもたくさんいるので、ずっと夏というわけにはいきませんが。

最近は夜にコオロギの声も聞こえてきて、なおさみしくかなしくなるこの頃です。

秋も楽しめ!なのですが、やっぱり生きものたちと遊んだ記憶は真夏の暑い日なんです。

 

最後にレイチェル・カーソンの言葉をご紹介。お恥ずかしいですが、最近ちゃんと読みました。

「子どもは大人の父」という言葉があって、とても共感できる形で解説していただいたことがありますが、こちらはまたの機会に。ぜひ心の中の子どもと、この自然環境に触れてほしいと思います。

 

『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

子供たちがであう事実のひとつひとつが,やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら,さまざまな情緒や豊かな感受性は,この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は,この土壌を耕すときです。』

−−レイチェル・カーソン(上遠恵子訳)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)より

 

まだ夏は終わりません!遊びにいきましょ